甲州百匁柿は、300~500gの大きな渋柿で、枯露柿(干柿)の原料である。

塩山・松里の枯露柿は、江戸時代には、すでに甲斐の名物であった。

武田信玄の時代には陣中食として干し柿が奨励され 甲州八珍果 Wikipedia)、武士の愛読書(甲陽軍鑑)に、武田信玄が「渋柿を切って甘柿を継ぐのは小心者のすることだ。国持ち大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものだ」と、適材適所を説いたことによる。

今でも松里では、甲州百匁柿を一つ一つ皮を剥き、自然の太陽と乾燥した寒風にさらし枯露柿を仕上げている。

 

昭和の時代になって、南アルプス市西野でも白根地区で見つかった大和百目を用いて枯露柿の

 

 

生産が始まった。